名前 Cristiano Ronaldo dos Santos Averio
(クリスティアーノ・ロナルド・ドス・サントス・アヴェイロ)
誕生日 1985.2.5
出身地 Madeira/Portugal
身長 184cm
体重 75kg
ManU契約 2003.8.12 (from Sporting Lisbon/Portugal)
ポジション FW/MF
背番号 7
移籍金 12.24million pounds (約23億円)
ManUデビュー 2003.8.16 Premier League vs Bolton Wonderes
for Butt 61min
ManUでのタイトル 2003/04 FAカップ優勝
2005/06 カーリングカップ優勝
2006/07 プレミアリーグ優勝
個人タイトル 2006/07 PFA(イングランドプロフットボール選手協会)年間最優秀選手賞
2006/07 PFA年間最優秀若手選手賞
2006/07 FWA(イングランド・フットボール記者協会)年間最優秀選手賞
Crisitano Ronaldoは,1985年2月5日にリスボンの南西約980km、アフリカ西海岸モロッコ沖からは約
800キロの、大西洋上に浮ぶボルトガル領マデイラ諸島最大の都市フィンシャルで生まれた。
(地図は地球儀ををクリック→ )
父親がRonaldo、母親がCristianoと名付けた。

Ronaldoは故郷の小さなクラブ、FCアンドリーニャス(ツバメの意)で本格的にフットボールをはじめた。
(その得意のドリブルについては)「実際どこで学んだか僕自身にも分からない。小さい時からボール
がなくてもぼろ布で作ったものをいつも蹴っていた。そんな幼少の頃の遊びで生まれたものだと思う」
そのころから既に負けず嫌いの少年であった。FCアンドリーニャスのルイ・サントス会長は「試合で負
けるといつも泣いた。悔しくて頭を壁にぶつけることもしばしばだった」と話す。先輩に意見を言い、け
んかすることもあった。

その後UDナオシナルでプレー。11歳の時にマデイラで大会があった時に、Sporting Lisbonにスカウト
され活躍の地をリスボンへ移した。スカウトが見たこの試合、Ronaldoは前半プレーしなかったのだが、
ハーフタイム中にボールで練習しているRonaldoを見て、即獲得を決めたそうである。

「周りのレベルが高くて大変だったよ。先輩たちにはよくしてもらったけど、マデイラのなまりもぬけなか
ったし、最初はホームシックになっちゃったな」
Sporting Lisbonの下部組織で順調に成長していった彼は2002年8月ににトップ昇格した。この時まだ
17歳6ヶ月。。
プロデビュー戦は2002.8.14、ホームでのチャンピオンズリーグ予備戦のインテル(イタリア)戦。58分に
トニーに替わって途中出場した。(試合は0-0のドロー)

●プロデビュー戦のインテル戦

Portgal FirstDivisionでは2002年9月29日、第5節のアウェイのSporting Braga(バラガ)戦がデビュー
戦で68分にピッチに立った。初先発は10月6日、第6節のホームのMoreirence(モレイレンセ)戦。この
試合で33分と90分にゴールを決めクラブ史上最年少ゴールとなった。試合は3-0で勝利した。
「すごく緊張しちゃったけど、1点目は中盤でボールを受けてシュートを決めたんだ。終了間際の2点目
はヘディングだった」

●モレイレンセ戦でゴールを決め喜ぶRonaldo

3点目のゴールは2002年10月27日、第6節のアウェー対Boavista戦、1-1で迎えた89分に勝負を決め
るゴールを決めた。
(luso様の解説によると、ドリブルであがってきたマルティンスのパスを受け、ちょいちょいとバランスを
とった後、リカルド(キーパー)の隙をついて軽くけり出したボールが見事にゴールに吸い込まれた。)

●ゴールを決め歓喜のRonaldo  ●左がRonaldo、右はペド

この2002-03シーズン、RonaldoはPortgal FirstDivisionにおいてスタメン10試合を含む計25試合に出
場、素晴らしいドリブル、魅力的なプレーを数多く披露し、多くのファンを魅了した。

Ronaldoの活躍は多くのビッククラブにも知れ渡っており、ManUのファーガソン監督も早くから彼の能
力を高く評価していた。アシスタントコーチのカルロス・ケイオスがポルトガル人だったので、Ronaldoの
情報を早く正確に得る事が出来たと思われる。
彼の獲得を決定付けたのは2003年8月6日のSportingLisbonとのフレンドリーマッチであった。(試合は
3-1でSporting Lisbonの勝利)この試合で活躍したRonaldoはManUの首脳陣だけでなく選手の間でも
高い評価を得た。ドレッシングルームでも帰途の飛行機の中でも彼の話題で持ちきりになり、何人もの
選手がファーガソン監督に彼を獲得すべきと進めたほどである。あれほど才能のあるManUの選手達が
、まだ18歳に過ぎない少年と、大いなるクラブで一緒にプレーしたいと思わせたのだから驚きである。
2003年8月12日、RonaldoはManchester Unitedに移籍した。契約期間は5年。年俸は約3億円。移籍
金は12.24Million pounds(約23億円)。イングランドにおいて10代の選手獲得に使った金額の最高額
である。
背番号は、チームからは7番はどうかと聞かれたが、、彼はSporting Lisbon時の背番号28番を希望し
た。やはりベッカムが去った後いきなり「7」をつけるのには抵抗があったようである。その後ファーガソ
ン監督の説得、代理人の説得もあり背番号は「7」に決まった。ジョージ・ベスト、ブライアン・ロブソン、
エリック・カントナ達がつけた栄光の、クラブにとって特別の背番号である「7」に。
「栄光の7番を背負うことに誇りを感じている。」
「7番を身に着けた選手はみんなクラブに長くとどまってきた。自分もそうなればいいね」とRonaldo。

入団発表 契約書にサイン

 爽やかな笑顔 入団直後のインタビュー

ManUでのデビューは入団してまもない、2003年8月16日Premier League開幕戦のOld Traffordでの
Bolton Wonderes戦であった。、1-0でリードはしてるものの決定力に欠け膠着状態の中、Buttに替わ
り61分にピッチに立った。
栄光の「7」   

交代のため彼がサイドラインに立ったときOld Traffordからは大きな拍手が起こった。ピッチに立ち
68000人の大観衆から暖かい歓声を受けた時には、心臓が止まるかと思うくらい興奮したとRonaldoは
後で語った。
まずは左サイドでポジションをとった。。ファーストタッチ後、鋭いタックルでボールを奪われたが、それ
以後、試合は完全に「彼のもの」となった。
左サイドでいいプレーを数度した後、キーンのスルーパスをDF2人を交わしながらエリア内へ。ユニフォ
ームを捕まれて倒されPKを得たが、残念ながらこのPKはNistelrooyが止められた。その直後、ボール
をもって左サイドを切り崩しゴール前へクロスを。ボールはゴール前を越えたがScholesにばっちりあい
、Nistelrooyのシュート、そしてgiggsのゴールへ繋がった。
その後中央、右サイドでのプレーを任されたが、そのポジションでも才能を遺憾なく発揮。スピード、テ
クニック、判断力、味方へのパス等どれも1ランク上のプレーを披露した。
彼がプレーすることによって完全にGameを支配したManUは、Ronaldo加入以後30分で3点を決め、開
幕戦を4-0で快勝し、素晴らしいスタートをきった。
Old Traffordに集まった多くのファン、そしてTVで観戦したさらに多くのファンの殆どが、ベッカムのこ
とを忘れ、この若い青年の未来を信じた。

Fortuneと祝福  ファンの声援に応えるRonaldo

「ユナイテッドはすべてをかなえられるクラブだ。素晴らしいプレーヤーが揃っていて、偉大な監督がい
る。チームの施設も文句のつけようがない。これだけの条件が揃っているんだから、もし失敗しても言
い訳はきかない。すべて自分の責任だ。その意味ですごくやりがいがある。なにが楽しみかって、やっ
ぱりチャレンジだね。ユナイテッドの勝利の伝統を受け継ぎたいし新たな伝説を築く力になりたい。自信
はあるよ。」とRonaldo。


ポルトガル代表においては、U-15、U-16、U-17とそれぞれのカテゴリーで代表に選ばれ活躍しており
、この度の2003.8.20のフレンドリーマッチ、カザフスタン戦で初のフル代表入りを果たす。1-0でポルト
ガルが勝利したこの試合、後半開始からルイコスタに変わりピッチに立ち、フル代表デビューを果たし
た。

カザフスタン戦でプレーするRonaldo


プレミアリーグ第2節のNewcastle戦でも途中出場でピッチに立ち、第3節のWolverhampton戦では
ついに先発出場を果たした。
RonaldoはManUでの初ゴールを2003年11月1日のPortsmouth戦で決めた。左サイドからのFK、彼の
蹴ったボールはゴール前で競る敵味方選手を1バウンドで抜き去りゴールに吸い込まれた。

ManU初ゴールを決め喜ぶRonaldo

Ronaldoのプレーはシーズンが進むに連れ、ますます磨きがかかっていった。その個人技は相手を
何度も翻弄し、味方との連携も徐々にスムーズになった。ファーガソン監督から12月末から1月中旬に
かけて3週間の休暇をもらったが、この休暇は非常に価値があるものとなった。復帰以降ManUの攻撃
の中心選手となり、休みをもらったことでシーズン最終戦まで質の高いプレーをし続ける事が出来た。
休暇明け後、彼は積極的にシュートを狙うようになった。チャンスがあるとエリア外からでもどんどん
打ちつづけた。最初はシュートは枠を外れる事が多かったが、徐々に精度を増していき、ついに3/20
のプレミアリーグ Tottenham戦でエリア外からロングシュートを決め、5/15のプレミアリーグ最終戦
Aston Villa戦でもエリア外から華麗なロングシュートを決めた。

今期、チャンピオンズリーグではそれほど活躍は出来なかった。決勝トーナメントのポルト戦でも、
ホーム、アウェイの2試合とも僅かにプレーしただけで存在感を示すことは出来ずチームも敗れた。

FA CUPでは彼はMVP級の活躍をし、チームに優勝に導いた。休暇中で3回戦のAston Villa戦は
出場出来なかったが、4回戦のNorthampton Town戦では1アシスト、5回戦のManchester City戦
では1ゴールと(ほぼ)1アシスト、6回戦のFulham戦ではルートの決勝ゴールをアシスト、準決勝の
Arsenal戦では右サイドを切り崩し何度もチャンスを作った。
決勝戦のMilwall戦では格の違いを見せつけ、先制点となるヘディングシュート、多彩なフェイントを
数多く披露、この試合3-0で勝利し優勝に貢献した。

 決勝戦でゴール 優勝カップをかかげ最高の笑顔

RonaldoのManU 1年目は40試合に出場し6ゴール、6アシストを決め終了した。19歳、加入1年目と
いうことを考えると充分よく頑張ったと言えるだろう。ゴール、アシストともシーズン後半戦で多く決めて
おり、数字から彼がシーズンを通して成長しているのが解る。

シーズン終了後、RonaldoはEURO2004ポルトガル代表メンバーに選出された。ManUにおいては活躍
したRonaldoであったが、数試合こなしたポルトガル代表での親善試合においては存在感がほとんど
なかったため、フィーゴ、シモンの控えとして数分でもプレー出来るチャンスがあるかどうかではないか
と思われた。

EURO2004初戦のギリシャ戦、予想通り両翼はフィーゴとシモンがスターティグメンバーであったが、前
半にギリシャに先制された為、局面を打開する為に、後半開始からRonaldoがピッチに立った。Ronaldo
は果敢に攻めるのだが、ゴール前に人数が足らず、彼のクロスは全て無駄と終わる。逆にコスティーニ
ャのパスミスからギリシャのカウンターに合い、Ronaldoはペナルティーエリア内で相手選手を倒し、PKを
取られてしまった。このPKが決まり0-2とされたポルトガルはますます追い込まれた。ロスタイムに
Ronaldoはヘディングシュートでゴールを決めた。代表初ゴールである。喜びはなかった。
ポルトガルはそのまま1-2でギリシャに敗れた。
試合後、ロッカールームでRonaldoは泣いた。チームメートの皆がRonaldoを慰めた。

続くロシア戦もRonaldoは控えだったが、1-0でリードした後半途中からピッチに立った。この日はキレが
よく、ボールを持つたびに歓声が起こった。そして終了間際、ルイ・コスタの絶妙のスルーパスを受けた
Ronaldoは、左足でゴール前にクロスを上げ、ルイ・コスタが決めた。試合は2-0でポルトガルが勝利した。

ルイ・コスタへアシスト 

勝つしか道がない第3戦のスペイン戦で、ついにRonaldoは先発で起用された。フィーゴとサイドチェンジ
を何度も繰り返しながら果敢に攻めた。ヘディングシュートは惜しくもそれた。ヌノ・ゴメスが貴重な先制
点を決めた。スペインの攻撃は激しさを増す。それでもポルトガルは守りきり1-0で勝利し、決勝トーナメ
ント進出を果たした。

決勝トーナメントの初戦のイングランド戦、先発でプレーしたRonaldoだったが、イングランドの右サイドバ
ックのアシュリー・コールにほとんど止めれらてしまいチャンスは作れなかった。試合は前半開始早々に
イングランドのオーウェンが決め、イングランドがそのまま守りきるプランを立てたが、途中出場のポステ
ィガが同点ゴールを決め、試合は延長となった。延長ではルイ・コスタの美しいゴールとランパードのゴ
ールにより2−2の同点でPK戦となった。
Ronaldoは4人目のキッカーとしてPK戦に挑み、落ち着いて決めた。最後はキーパーのリカルドがPKを
止めた後、自らがキッカーとしてPKに挑み、鮮やかに決めポルトガルはPK戦を6-5で勝利した。

準決勝のオランダ戦、先発のRonaldoはヘディングシュートでゴールを決めた。その後、Ronaldoのショー
トコーナーを受けたマニシェが鮮やかなロングシュートを決めポルトガルが2-0とリードした。オウンゴー
ルで1点返されたものの2-1で逃げ切り決勝へ進んだ。
オランダ戦でヘディングシュート。脱いだ為にイエローカードをもらう。

決勝戦の相手はギリシャ。堅い守備でフランス、チェコを破り、決勝まで勝ち進んできた。Ronaldoは先発
出場。第3戦のスペイン戦以降は全て先発出場となった。ポルトガルはチャンスは作るのだが、ギリシャの
守備は堅く、ゴールを奪うまでには至らない。ギリシャに先制された後は、さらに攻めた。攻め続けた。
キーパーと1対1になったRonadoだったが、キーパーの上を狙ったシュートはゴールバーを越えていった。
試合は0-1で破れ、ギリシャが優勝した。Ronaldoはピッチ上で大泣きした。
この試合を最後にゴールデンエイジと言われた最後の3人、フィーゴ、ルイ・コスタ、フェルナンド・コウトは
代表を引退した。


2004アテネオリンピックでは、EURO2004が終わったばかりだというのに、まだ19歳だった為収集された。
1点は決めたものの、EURO2004 の後でモチベーションが上がる訳も無く、ポルトガルはグループリーグで
敗退した。


マンUでの2シーズン目、04/05シーズンが始まったが、Ronaldoの調子は一向に上がらなかった。空回り
が続き、チャンスは作るのだが、自分でチャンスを潰した。初ゴールは12月に入ってからだったのだが、
その試合も調子が悪すぎた為に、ゴールを決めた後も笑顔は無く、自分自身に怒っていた。

ポルトガル代表においてはとても好調であった。フィーゴ、ルイ・コスタが引退し、戦力低下が心配されたが
、Ronaldoとデコがチームを引っ張り、ワールドカップ2006予選は順調に始まった。Ronaldoは得点、アシスト
共に大きく貢献した。

年が変わった2005年になってようやくマンUでも活躍し始めた。アーセナル戦ではアウェーながらも2点決
め、2-4の勝利に大きく貢献した。

総じて言えば、高不調の波が激しすぎたシーズンだった。プレミアリーグで5ゴール、FA CUPでは4ゴール
決めた。マンUは1つのタイトルを獲得出来ずにシーズンが終了した。



05/06シーズンはマンUにおいては相変わらず高不調の波が激しかったが、ポルトガル代表においては
好調続きで楽々とワールドカップ2006の出場権を獲得した。フィーゴが途中から代表に復帰したのも大き
かった。

1月のマンチェスターシティー戦ではラフプレーで初のレッドカード、退場処分となり3試合の出場停止を受け
た。この退場で深く反省したようである。復帰後の2月の1ヶ月間は活躍し続けた。2ゴール決めた試合も2
試合あった。無回転のFKも初めて決まった。

今期もプレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、FA CUPの優勝は叶わなかったが、唯一残されたカーリング
カップでは決勝に進んだ。決勝戦のウィガン戦ではルーニーが2ゴール、Ronaldoとサアが1ゴールずつ決め
4-0で勝利し優勝した。

ウィガン戦でゴール  優勝カップを掲げて喜ぶRonaldo


05/06シーズン、Ronaldoはプレミアリーグで9ゴール、チャンピオンズリーグで1ゴール、カーリングカップで
2ゴールの計12ゴールを決めた。シーズン前半の出来は悪かったが、後半は好調な試合も多かった。


2006年6月、Ronaldoにとって初めてのワールドカップ ドイツ大会が始まった。直前の親善試合2試合にお
いて、Ronaldoは相手選手に報復行為をしてイエローカードを出され、スコラーリ監督からチームに迷惑を
かけるような選手は使わないと批判を受けていた。ワールドカップでRonaldoが徹底マークに合うだろう事
は解っていたので、ワールドカップ前に予期された問題が起こった事は良かったと思う。


初戦のアンゴラ戦、先発出場したRonaldoだったが、この日は調子に乗れず、ヘディングシュートはバーに
はじかれ、絶好のチャンスで放ったシュートはコースが甘く、キーパーに弾かれた。前半に少し危険なプレ
ーでイエローを受けてた事もあり、後半途中で交代した。試合は開始早々のパウレタのゴールを守りきり、
ポルトガルが1-0で勝利した。

第2戦目のイラン戦、相手の守備がもろい事もあり、Ronaldoは輝いた。Ronaldoは思い通りにプレーし、イラ
ンはファールで止めるしか手が無かった。攻めながらゴールが決められないポルトガルだったが、後半デコ
の素晴らしいロングシュートがきまり、1点をリードした。後半33分、フィーゴがエリア内で倒されPKを獲得、
監督はRonaldoをキッカーに指名した。緊張した表情を見せたRonaldoだったが、キーパーの逆をつき、左サ
イドにゴールを決めた。
試合はそのまま2-0でポルトガルが勝利し、第3戦を待たずして決勝トーナメント進出を決めた。

   イラン戦でPKを決めて喜ぶRonaldo


第3戦目にメキシコ戦、Ronaldoを含む第2戦までにイエローカードを受けた選手はメンバーから外された。
決勝トーナメント初戦をベストメンバーで戦う為だ。 マニシェとシモンがゴールを決め、1点返されたが、
2-1で勝利しグループリーグを3連勝した。

決勝トーナメント初戦は強豪オランダとの対戦となった。開始10分の間にRonaldoは激しいファールを2度
受けた。2度目のファールの時はに右太もも相手選手のスパイクで蹴られ、痛みと戦いながらプレーしたが
前半途中で耐えられなくなり交代となった。 交代の前には、Ronaldoが起点となり、最後はマニシェが決め
てポルトガルが先制した。
試合は両チーム2人ずつの退場者を出す荒れた試合となった。オランダの方が常に人数は多かったのだが
オランダの攻撃をミゲルが、カルバーリョが、リカルドが、そしてゴールバーが全て止めた。ポルトガルは
1-0で勝利し、目標であったベスト8入りした。


準々決勝はイングランドとの対戦となった。オランダ戦の怪我で出場が危ぶまれたRonaldoも先発メンバー
に名を連ねた。デコを出場停止で欠いたポルトガルはなかなか効果的な攻撃をする事が出来なかった。
それでもRonaldoはボールを持つたびに積極的にドリブル突破を試み、スペースがあればおもいっきりシュ
ートを放った。後半、カルバーリョにファールに苛立ったルーニーがカルバーリョの股間を蹴り、退場となる。
この時審判にファールをアピールし、ルーニーが退場になった後でベンチにウィンクをしたRonaldoは以後
ずっとイングランドの憎むべき敵となった。
ルーニー退場後、試合を支配してたのはポルトガルだったが、決定的なチャンスはイングランドの方が多か
った。90分間でお互い点が取れず、延長戦でも無得点のまま、試合はPK戦となった。ポルトガルベンチに
向かったRonaldoは、スコラーリ監督が書いてるPK順を覗き込み、その後はずっと緊張した表情を見せた。
Ronaldoは大事な5人目のキッカーだったのである。
PK戦、先行のポルトガルは致命的にも2人外してしまったのだが、なんとポルトガルのキーパー リカルド
はイングランドのPKを3本も止めた。PK戦を2-1でリードし、次決めれば勝つという場面でRonaldoの出番が
回ってきた。Ronaldoはゆっくりペナルティースポットへ向かい、足場を充分固めた後、ゴールが決まるよう
にボールへキスをした。審判の笛がなり、ゆっくり助走し1度フェイントを入れた後、キーパーの逆をついて、
右サイドにシュートを決めた。 

  イングランド戦でPKを決め、喜ぶRonaldo


準決勝の相手は、優勝候補筆頭のブラジルを倒したフランス。デコが復帰し、ベストメンバーで挑んだポル
トガルだったが、フランスの堅すぎる守備の前に、攻撃は簡単に止められてしまう。Ronaldoには常に2人か
3人のマークがつく徹底ぶりで、彼の持ち味のドリブル突破を許さなかった。フランスはカルバーリョがアンリ
を倒してもらったPKを、ジダンが確実に決め先制した。ポルトガルにとっては重過ぎる1点となった。その後
もポルトガルの攻撃は完全に抑えられた。RonaldoのFKをキーパーが弾いたところにフィーゴがつめたが、
ヘディングシュートはバーの上へと消えていった。ポルトガルは0-1で敗戦し、優勝の夢はここで終わった。


3位決定戦はドイツとの対戦。互いに準決勝で負けておりモチベーションも、プレッシャーも低いまま試合は
始まったが、ホームでの歓声を受け、開催国として無様な戦いを見せるわけにはいかないドイツが主導権
を握り前半から何度も決定的なシュートを打った。Ronaldoにはマークは1人しかつかなかったが、それでも
クリーンに抑えられた。後半、シュバインシュタイガーの大活躍でドイツが3点取り、試合は決まった。ヌーノ
ゴメスが1点を返したところでポルトガルのワールドカップは終わった。
4位は充分立派な成績だと言えるだろう。スコラーリ監督のもと、チーム一丸となって最後まで戦いぬいた。


イングランド全体を敵に回してしまったRonaldoだったが、マンUに合流し、もうすぐ新しいシーズンがスタート
する。ワールドカップは終わったばかりだというのに、もう9月にはEURO 2008予選がスタートする。
Ronaldoは戦い続ける。